2021.05.02

THC PRODUCTIONS MAG Vol.2

デシューツリバートレイル

コロンビア川からデシューツ川沿いに南下し、 オレゴン州べンドまで線路を敷く、という強い意志を持った2人の鉄道王が両岸で競い合った結果、敗れ去った側の廃線跡 がデシューツリバートレイルとして現在ではグラベル愛好家達に愛されています。

1848年、北カリフォルニアで金が発見されると多くの人が貧困から抜け出すため西海岸を目指し、これが有名なゴールドラッシュです。 49ers達は徒歩、 余裕のある人は馬車で西を目指したのですが、 この需用に応えるために東 西から大陸横断鉄道が建設され、 1869年にユタ州プロモントリーでユニオン・パシフィック鉄道とセントラル・パシフィック鉄道が接続します。一般的にゴールドラッシュとは1848年〜1855年の短い期間を指し、1860年代前半には個人の採掘者が川などで簡単に金を集めることができる時代は終わっており、より大規模な水圧による鉱石採掘へと形態を変えていました。


1890年の国勢調査では、人口密度による明確な入植地の境界がすでにないことが発表され、 ここにフロンティアの消滅が宣言されたのですが、20世紀に入った1908年デシューツ川を挟んでアメリカ最後で最大の鉄道戦争が始まります。エドワード・ヘンリー・ハリマンが所有するユニオン・パシフィック鉄道の子会社、デシューツ鉄道が最初に川の東側で着工、ジェームズ・ジェローム・ヒル率いるオレゴン・トランク鉄道が西側で着工すると、この狭い峡谷への独占的なアクセス権を巡り法廷闘争となり、現場では東西の建設作業員同士が相手の資材を黒色火薬で爆破したり、石の投げ合い、果てには銃撃戦にまで発展します。

そして現在ではオレゴン・トランク鉄道の路線は北米最大の貨物鉄道ネットワークBNSFが運行しており、デシューツ鉄道が敷設を試みた線路跡はトレイルとして整備されています。

ポートランド市内からはコロンビア川沿いをひたすら東ヘ90分ほど走ってオレゴン州立デシューツリバー・リクリエーションエリアでクルマを置くのが良いでしょう。 キャンプ場も整備されており、 水、 綺麗なトイレなどー通り完備されています。 しかし、食料と水だけは十分に途中で仕入れる方がいいでしょう。オレゴン内陸部は砂漠性気候であるため、とにかく飲める水の入手が困難になります。最低でもボトル3本の水が推奨されており、真夏であれば追加で携帯浄水器があると安心でしょう。しかし、途中で数回浅い支流を渡る必要があるのですが、その水の色を見ると浄水器があっても飲みたい水ではありません。

トレイル自体はリクリエーションエリアの真横から始まり、川沿いに30kmを南下し、 同じ道を引き返して計60kmで獲得標高350mの行程になります。数字だけ見ると比較的イージーですが、グラベル率は 100%で平地基調であるためハイスピードで、 バンクのリスクが高いです。
さらに、Tribulus Terrestrisという地中海原産の砂漠に自生する一 年草の実が多数落ちており、パンクチャー・ヴァインやゴートヘッドとも呼ばれるこの鋭い棘を持つ実が穿つ微細な穴はチューブドのタイヤでは完全にパンクを防ぐことができず、 40C以上のチューブレスタイヤとシーラントの組み合わせが強く推奨されています。

バイクも重要です。リアにラックを装着したフル装備のキャンパーは苦労することになります。1日で往復するなら、なるべく軽めのバイクパッキングスタイルが良いでしょう。 もちろん、 川沿いにはトイレ有りのキャンプサイトがあり、キャンプも可能なので、フル装備のバイクで慎重に走ってゆっくり楽しむスタイルも間違いなく楽しいです。
さて、 実際のライドですが、一 本道なので迷いようがありません。 路面はスムー スですが、 南下していく次第に荒れていきます。 また、 狭い峡谷に線路を作ったため、山側から崩落した礫が大量に積もっている場所が何力所かあり、 MTB でも乗って行けないであろう荒れ方でした。

最初は西部開拓時代を坊彿とさせる勇大な景色に感動しますが、 根本的には右側に川、左側に山という風景は30kmの間、ずっと変わりません。2018年7月に大規模な山火事が発生したそうで、80,000エーカー以上の草原に、歴史的な遺構として残されていた貨車の構造物も破壊されてしまいました。 しかし、 驚くほどの勢いで草原は息を吹き返しています。幸いこの日は曇り基調の天気で涼しく、あまり暑さに苦しめられることも無かったのですが、次第に荒れて行くグラベルはボディブローの様に効いてくるもので、腰のあたりがずしりと重くなります。Garminの地図で折り返し地点 を確認、 残り数kmの辺りからダブルトラックはシングルトラックヘと変わり、谷側には多数のうち捨てられた枕木、山側には崩落した礫というさらに荒涼とした風景になります。心細さがさらに増した頃、突如シングルトラックの踏み跡が不明瞭になり、 それは礫の中へと消えて行きました。

あちこちに山火事の名残を見て取れます。
これはハリス・ランチの跡地で、 ここには幽霊屋敷のような、傾いて崩落寸前の19世紀の邸宅と納屋が建っており、
トレイルを象徴する名所でもありました。
なお、2018年に消矢した8万エー カーの面積とは東京ドーム6924個分に相当します。


とりあえずバイクを置き、 歩いてその先まで行って納得。 かつてそこには橋梁があり、後年に崩壊した後は山側に無理矢理エスケープの徒歩ルートが作られているのですが、あまりにも路面は滑りやすく、斜度があり、 そして谷側に落ちると軽い怪我では済まないというのは簡単に見て取れましたので、 この時点で折り返して撤退するのを決定しました。 アメリカのアウトドア・アクティビティはどこまで行っても自己責任、危ない所でも看板さえ無いなんて普通のことなのです。またこれを再認識させられました。

左の写真で中央右手に見える木にバイクをもたれさせています。そこから右下側までが迂回路です。 歩いてここまで 移動してこの写真を撮ったのですが、ほぼ決死の状態です。中央下に見えるのがコンクリート製の基礎でしょう。
復路は下り基調になるため、簡単に帰れると思いきや大間違いで、渓谷の間を吹き抜ける向かい風がとても強く、10kmほどの区間は苦しめられました。 結局は恐れていた パンクもせず、 トラブルなしでトレイルヘッドに戻ったのですが、 普段走ることの多いMTBトレイルではなく、 ヒストリックかつ勇大なグラべルロードというのは初めての経験で、日本からわざわざ走りに行く価値はあると断言できます。
最後に川の向こうにベンド方面から来た長いBNSFの貨物列車がゆっくりとコロンビア川に合流するのを見るの は格別でした。